Column

2016/06/02

氷山の一角の一角を崩す

※このコラムは中日新聞(2016年5月19日(木)朝刊)に掲載されたものです。

「氷山の一角の一角を崩す」
東日本大震災以来、音楽の力を借りていろいろな支援を続けてきた。自分なりに、自分のできる範囲で一生懸命やってきた。それでも必要とされる支援は減らないし、その内容はより多岐で、高い質が求められる。「何をしても氷山の一角にもなっていないのではないか?」という焦りも含んだ悔しさを感じていた。
四月中旬、熊本地震が発生した。熊本では今年一月、宮城県女川町を支援しようと、JA阿蘇小国支所の皆さんが「女川チャリティーコンサート」を開いてくださったばかり。イベントで知り合った方々の無事を聞くまでは、気が気でなかった。驚いたのは「何かしなければ…」と考えている私を追い越して、女川の人たちが先に動いたことだった。 水の配給に使うボトル、離乳食、便秘薬、雑巾などの支援物資をすぐに送っていた。女川の「ゆめハウス」の八木純子さんは「だって恩返ししたいじゃないですか!」。
はっと気づかされた。女川からの支援物資は「氷山の一角」かもしれないが、彼女たちは全くそんなことは気にしていない。「ボランティア活動はやれることをやれるだけ、ちょっとしたことも大事な支援だと信じることが本当の支援になる」。分かっていたつもりだったのに、分かっていなかったのかもしれない。
それなら私は私ができることをするだけだ。熊本地震の前に、東日本大震災の復興支援のためにと企画されていたハワイでの「Japan Tsunami Restration(津波からの回復)コンサート」は、ジャズピアニストの大江千里さんをはじめとする出演者の全員一致で、熊本の支援もすることになった。イベントは二回目とあって、ボランティアの間で「お久しぶり!」のあいさつが飛び交う。おすしのお米は福島産、各テーブルの真ん中に置かれた淡いピンクと深い紫色のトルコギキョウは熊本産だった。
イベント会場でもボランティア団体「なでしこクラブ」のなでしこたちが、おそろいの赤いTシャツを着て、東北のジャムや、Tシャツから作った草履や七味唐辛子、気仙沼、釜石、塩釜の海産物などを売っていた。千里さんは熊本を思って作ったピアノ曲「クマモト」を演奏し、いよいよ私の出番。日本になかなか帰ることができない方々の思いが、被災地へと届くことを願いながら歌った。
東京に戻ると、熊本県のアンテナショップを多くの人が訪れていることを知った。背伸びしなくてもいい。身の丈でいい。自分ができることをやればいい。もちろん東北への支援はこれからも続ける。でもそれに加えてできるだけ早くに熊本へ、アカペラでもいいから歌を届けたい。氷山の一角の一角でも崩せたらいい。今はそう思える。