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    ※このコラムは中日新聞(2016年4月14日(木)朝刊)に掲載されたものです。


    「信頼は作れる」

    私がしたフェイスブックへの投稿に、音楽業界関係者は眉をひそめた。

    2月19日、名古屋の愛知県芸術劇場で行ったコンサート3日前の「チケットの売れ行きが悪いのでお友だちも誘ってきてね」は、どうやら「本人がすることではない」らしいし、「イベンターに失礼」らしい。名古屋生まれの名古屋育ち。30年ほど前に渡米し日本の音楽シーンを離れたが、5年前から音楽活動を再開した。そんな私は何を言われてもいいと決意して投稿したはずだったが「やり過ぎたかな」と下を向きそうになった。

    救ってくれたのは、直後から続いたファンの投稿だった。「四国から行きます」「行けないけれど名古屋の友だちに連絡しました」などなど多数。後で知ったが、定職と副業2つを持つ埼玉のシングルマザーは「名古屋までは無理」と思っていたのに、夜行バスと浜松の友人の車を組み合わせ来てくれた、という。

    かつてファンとのやりとりは手紙だった。若き日には、つたない字で一生懸命、ファンレターに返事を書いていた。一対一のやりとりは濃厚ではあるが、全ての方には返事が書けない。ファンの方の思いを知るにも、私の考えを伝えるのにも時間がかかった。それがソーシャルメディアの誕生で一変した。私はより多くの方に思いついた時に思いついたことを時差なく伝えられるようになった。それに呼応するファンの声もすぐに分かる。

    名古屋公演の幕が開いた。ファンの方の懸命な努力にも関わらず、私の力不足もあり席は全て埋まらなかった。でも歌ってすぐに気づいた。「自分たちが支えているから大丈夫だよ」という、包み込まれるような安心感と、他の会場ならばアンコールに近くになって生まれる一体感までがあった。

    「特別な想いで始めたコンサートでしたが、もっと特別な想いで終えることができました」。アンコールではもう感謝の言葉しか出なかった。会場の雰囲気は私のベストだと胸を張れる歌と、ベストだと言えるバンドの演奏を引き出した。

    ファンレターのように濃密ではないかもしれないが、ソーシャルメディアでも、多くの人たちと信頼関係をつくることができる。私は一つの書き込みでそれを学んだ。

    私のコンサートを何十回も見てくれているファンが、これもソーシャルメディアで、伝えてくれた。「純子さんの投稿に呼応した多勢のファンとともに、会場に駆けつけられなかったファンも含めて、一緒に作りあげたライブだった。興行としては成功ではないかもしれないけれど、記憶に残る特別なライブだった」と。