Column
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2016/09/26
「歌う」ことが「遊び」だった
※このコラムは東京新聞(2016年8月21日(日))に掲載されたものです。
「「歌う」ことが「遊び」だった」
「ザ・ベストテン」という歌番組で、司会の久米宏さんが「今週のスポットライト!」と呼び込んでくれた。心臓のドキドキは最高潮。「みずいろの雨」を初めて人気番組で歌うから、ではなかった。「もしかしたら、ザ・ピーナッツのお姉さんや妹さんが見ているかもしれない」と思ったからだ。
私の歌のすべての原点は、双子の姉妹、ザ・ピーナッツにある。私が小学二年の特、ひとつ年上のいとこ、よっちゃんと、ザ・ピーナッツのコピーデュオ「ザ・チェリーズ」を結成した。いち早く新曲を買いに行くのがよっちゃん、その新曲のハーモニーを聴き取り、よっちゃんに教えるのが私の役目だった。
ザ・ピーナッツが英語で歌えば、意味などそっちのけで、歌詞を書き取り「カタカナ英語」で歌った。
お得意は「恋のフーガ」。「追いかけーて」という歌い出しの後のティンパニーのドドンに合わせて肩をククッと動かす振りは、もちろんマスター。コンクリート造りの階段で歌うと、響いてうまく聞こえることも覚えた。きれいにハモれると気持ち良くて、うれしくて何度も何度も繰り返し、振りを失敗すると笑い転げた。
「歌う」ことが、「遊び」だった。
ザ・チェリーズ結成から三年が過ぎたある日、日本舞踊のお師匠が本物のザ・ピーナッツに会わせてあげる、と言う。場所は名古屋駅近くの名鉄ホール。お師匠に付き添われ、私たちはコンサートが終わるのを今か今かとひたすら舞台の下手で待った。
幕が下りた。新曲「ガラスの城」のレコードジャケットと同じピンクの衣装を着て、ビーズの長い飾りを片手で束ねたザ・ピーナッツが歩いてくるのが見えた。気がつけば、憧れのザ・ピーナッツが前に立っていた。握手をしたのか、言葉を交わしたのかも記憶にない。覚えているのは、ザ・ピーナッツがお人形のように小さくてきれいで、とてもいい匂いがしたこと、それだけだ。
ザ・ピーナッツの育て親である宮川泰さんのご子息、宮川彬良さんの指揮で、ヒット曲「恋のバカンス」を歌うコンサートの直前、妹の伊藤ユミさんが亡くなったことを知った。プロになってからバッキングボーカルのアレンジが楽にできるのも、どこか洋楽の薫りがする曲作りも、みんな、ザ・ピーナッツのおかげだ。
私はザ・ピーナッツと同じ名古屋育ち。ザ・ピーナッツは結婚から引退と現役時代が短かったし、ザ・ピーナッツも中学三年の時に解散したけれど、私の目標は生涯現役で歌ってゆくこと。
名古屋にはきんさんぎんさんもおったがねー。